(上見附駅にて)
悠久山方面はすでに廃止され、
栃尾方面も終点は上見附となっていた。
当時は廃止といっても、今のように
マニアが押しかけることも無く、
駅は閑散としていた。
廃止を告げる看板も
簡素なものであった。
(浦瀬付近 )
新潟を走る私鉄が
まだ元気なころ
軽便鉄道が生き残っていた。
「この春で廃止になる」
そんな知らせを聞いて、
廃線を数日後に控えた
栃尾線を訪れた。
電車は、
ご苦労さまのヘッドマーク
も無く
普段着の姿で、
雪解けの田圃の中を
走っていた。